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福岡家庭裁判所柳川支部 昭和48年(家)79号 審判 1973年10月11日

申立人 増谷正蔵(仮名)

相手方 笠原久(仮名)

主文

柳川市○○字○○△△番△△番△△番(合併)墓地四七〇〇平方メートルにつき、亡立波仙吉の有する三四分の一の持分の承継者を相手方笠原久と定める。

理由

申立人は、主文同旨の審判を求めたので、次のとおり審按する。

本件記録添付の除籍謄本二通、柳川市長の証明書、当事者双方及び早川徳一に対する各審問の結果、当庁昭和四八年(家)第七七号事件記録添付の登記簿謄本及び申立の全趣旨を総合すれば、次の各事実を認定できる。

(一)  本件墓地は、元来柳川市○○部落民三〇八名の共有であるが、明治二二年三月一一日当時その管理世話人であつた申立人の曾祖父増谷喜久美、申立外立波仙吉外三二名の共有(持分名三四分の一)として、所有権取得登記がなされたこと。

(二)  申立人は、現在本件墓地の管理世話人であるところ、墓地共有者の要望により墓地の一部を売却処分して墓地の模様替整備をすることとなり、管理世話人はその実行に着手し殆んど全部の登記名義人の名簿替えを完了したこと。

(三)  立波仙吉(文政六年七月一六日生)は、明治元年二月一六日白井カヅ(天保三年五月一〇日生)と婚姻し、仙吉夫婦は明治一九年八月七日渡瀬武男の二男謙三(慶応三年一〇月一八日生)を養子とし、謙三は明治二〇年四月二日相続により戸主となつたこと。

(四)  カヅは明治二二年八月一九日死亡し、その後謙三は退隠したため仙吉が明治二三年七月二一日再相続して戸主となつたが、仙吉は明治二四年一二月一八日死亡したこと。

(五)  然るに仙吉には相続人が全然なく、その祭祀を主宰する者も墓地を管理する者も全然なかつたので、申立人等管理世話人において同人の祭祀及び墓地の管理をして来て現在に至つていること。

(六)  前記のとおり仙吉には相続人がなかつたため、本件墓地の持分につき登記名義の変更ができず、前記の墓地整備計画の実施に多大の支障を来たしているが、慣習に従つて仙吉の祭祀を主宰すべき者もないこと。

(七)相手方は、現在柳川市議会議長であり、本件墓地の管理委員長であつて、現在仙吉の墳墓を管理しており、将来本件墓地に納骨堂を建立した場合には仙吉の遺骨を無縁仏として納骨する意向であり、仙吉の墓地の承継者として指定されることを承諾していること。

民法八九七条の墳墓の承継者は、必ずしも墳墓の所有者の相続人又は親族に限定されるべきでなく、墳墓を管理する者が承継者として適任であると認められる場合には、管理者を承継者と定めることができるものと解するので、以上の各事実を綜合すれば、相手方を本件墓地の立波仙吉の持分の承継者と定めるのが相当である。

よつて、民法第八九七条第二項により、主文のとおり審判する。

(家事審判官 時津秀男)

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